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バンクーバー支部

カウワイ島アドベンチャー by Clausen 信子 2012年4月9日−20日

2012.05.30 更新
バンクーバー支部のClausen 信子様より2012年4月にご旅行になられたカウワイ島の道中日記を頂きました。Clausenさんはウィニペグにお住まいでバンクーバーのほうにはなかなか来られませんが、こうして元気そうな便りを頂くものは嬉しいものです。 (岡本裕明)


[船上のハット・ショー]
ことの始まりは、アメリカ留学時に乗った船での「ハット・ショー」。船底近い三等客室で同室だったカウワイ島へ帰るという一世の中島さん。手際よく帽子を作りながら「カワイ島はいいよ、あんたも一度はおいで」とくり返した。見事な手さばきに触発され参加を決意した私が、何と「ビューティー部門」で二等賞を獲得。中島さんはと言えば、そのユニークな帽子をかぶってフラを踊り、すべって転んで「特賞」に輝いた。以後、彼女の「カワイ島はいいよ、一度はおいで」が心に焼き付いてしまった。実に、46年もの間・・・。
[念願かなう!]
今年になって、ライマーが突然「カウワイへ行こう!」と言い出したが、ウィニペグでは業者でさえ「そんな島は聞いたこともない」とまことに冷たい。仕方なく、始めて全てをネットで決めた。私には不安がなかった訳ではない。「カードでお金取られて、現地についたら、ホテルもダメ」なんて事にならないか?以前、メキシコで起きた事件を思い出した。
全て払い終わった後で分かったのだが、私の「漢方治療費」2千ドル以上をカナダ政府が返してくれた。まるで「政府からのプレゼント」みたいな旅だ。が、「タダより高い物はない」も事実。余りにも次々と思いがけない事件に見舞われ「ヤッパリ、政府からの贈り物はダメなんだろうか・・・?」なんて、本気でつぶやいた。
[不安を伴う出発]
ライマーは、旅行が近づく3月末には、実に15時間ものシャックリに責めさいなまれ、止まった途端に酷いギックリ腰、同時に激しい風邪の攻撃。これで旅行に出られるか・・・?腰は何とか治ったものの、風邪の方はよくならず「とにかく無事に着きますように」と祈りつつの出発だった。 
早朝出発と真夜中の飛行を避け、又、ロスからカウワイへの直行便が昼過ぎに出るので、ロスに一泊となり、楽な往路となった。それでも、ハワイは思ったよりも遠い。ロスとの時差は3時間(ウィニペッグとは5時間)。カウワイ到着は、すでに夕方の6時を回っていた。ウィニペッグでは夜の11時過ぎだ。どんよりとして薄ら寒く「これがハワイ?」と驚いて上着を着る。タクシーの運転手も同じように厚手の上着姿だ。周り中は野生の鶏の群れ。ワイキキにも鶏は多かったが、カウワイ島は比較にならない。どこもかしこも、山も谷も川もビーチも「コケコッコ〜ッ!」のオン・パレード。雄鶏たちが胸を張り競い合う姿。中々見応えのある光景ではあった。もう一つ目に付いたのは「赤土」。どこもかしこも、赤い。まるでプリンス・エドワード島へ戻ってきたようだった。
[ホテルの情景]
 ホテルは島の東側、ワイルワ(Wailua)河手前のビーチ沿いに建つ。ハワイ語の地名には悩まされた。日本語と同じで全て母音で終わるが、その長たらしさに閉口した。聞き慣れない、見慣れないアルファべットが続き、読み切れない。タクシーから見る標識はもとより、部屋で地図を開いても“Waikanatae”では「ワイカ〜?え〜ッ?」
昨年、ワイキキでの格安ホテルは、部屋に小さな台所、レンジに鍋釜、お皿まで整っていて、簡単な料理も出来た。東に向かい広々としたバルコニーで、その向こうにダイヤモンド・ヘッドがそびえ、ビルの間にビーチの青。「ワイキキ一の高層ビル」だが、浜辺までの距離や古さなどで割引になったのだと思う。洗濯ばさみやロープを持参。濡れた水着もよく乾き、簡単な食事は義姉も加わりバルコニーで楽しく出来た。カウワイ島にもロープなど持参したが、バルコニーがない。部屋は地下を入れた3階で、二階がロビー。エレベーターがあって助かった。手入れの行き届いた、緑あふれる中庭を見下ろす大型スライド式窓がある。丸い小さなプールは一日中親子連れで賑わい、その周りを鶏が数家族ノンビリと餌を突く。雄鶏がハイ・ジャンプして木に止まる様子を始めて見た。部屋には大型デスクと、がんこなアームチェアー。これは危険信号だったが、その時には気づかなかった。テレビと旧式の小型冷蔵庫が一台。台所なし。洗面台にコーヒーメーカー。紙コップとプラスチック・グラスが備えられていた。ライマーに言わせると、ワイキキの方がもう少し安かったそうだ。始めて部屋に入った時はエアコンがガンガン効いていて、操作が分からずに震えまくったが、以後は賢く調節した。 
[試練、試練のスタート]
ホテルでは初っ端から出鼻をくじかれた。「メイン・プールとジャクジーは金曜日まで使えません(火曜日)」。「シーズンオフの特別割引だから仕方ないか」ライマーは、こう考えつつも失望したらしい。夕食にレストランへ行くが、ホテルは値が張る。おまけに、やたらと塩辛い。水ばかり飲み、夜中に何度もトイレに通い、ベッドまでフカフカで、眠った感じが薄かった。カウワイ滞在中「塩辛い」、と水ばかりでトイレ通い、薬をのんでも眠れず、私はスッカリ疲れてしまった。ライマーは大口あけて高いびきだ。当時の日記。「ライマー、いびき」「今朝も五時にイビキで起こされる」。連日「ライマーのイビキ、いびき」。いびき・・・。困る、ホントに。
翌日かららも、この「困る・・・」の連続。最寄りの店までは徒歩で20分以上。途中、交通の激しいハイウェイ56を避けて砂浜を歩くのだが、大波小波が砕け散る絶景とは言え、とても泳いだりは出来ない。ホテル前のビーチも波風が激しく、大量の木くずが押し寄せる波打ち際は、危なくて歩けない。まるで嵐の直後の体で、本当に直前まで嵐だったのかも。「波間の富士」の誇張された波の重なりそのものだ。行けども行けども黄色いテープで囲まれ「遊泳禁止」の立て札が林立。ビーチもダメ、プールもダメではどうしようもない。ガッカリしたためか、ライマーの風邪が時々刻々と悪化。いつの間にか後姿も「くの字に」とは。ヤダ〜ッ!ギックリ腰再発・・・!それだけではない。翌朝、私は「眉間を数ミリ避けた」場所をシタタカに強打。余りの痛さに唸ってしまう。幸いに氷を作ってあったので、10分ほど冷やしてアザになるのは避けられたが、大きなこぶが出来てしまい、痛みは今も少しは残っている。暗闇(カーテン越しの逆光)での不注意とは言え「あんな狭い場所に大型デスクとアームチェーを置くホテルが悪い!」と、冷やしながら毒づいた。デスクと言えば、三日も過ぎてからティッシュ・ボックスから「小アリの行進」を目撃。ライマーが咬みつかれて悲鳴を上げた。始めの二日間は、ライマーは風邪との闘いでベッドでジ〜ッとしていて、合間に食事を求めてビーチを越えていく。鈍く暗い空は、風が雲を飛ばし、波を飛ばす。「こんな事のために大金を使って来たの?」と呟く信子。調子が悪いライマーは反発も出来ず、ただ黙々と歩を進めた。この日、私達は昼過ぎワイルワ河の観光船に乗り込んだ。乗り場はホテルのすぐ近くで、雲も切れて暑くなってきた。途中で下船して「ブルー・ハワイ」が撮影された「羊歯の洞窟」までジャングルの石段を上る。プレスリーと共演したという、シワクチャ老人がウクレレを弾き、ギターに合わせて、フラダンスや歌のサービス。「プレスリーも、生きてたらこんなシワクチャになってたのか」、とショックを禁じえなかった。ミュージカル「南太平洋」もこのカウワイ島で撮影されたのだそうだ。カウワイ島。よっぽど素晴しい島なんだ! 
[ライマー回復、天気も回復!]
 天気が上向きになると湿気が増して、汗ビッショリになる。荷物を少なめにしたために、どうしても洗濯をしたいが、ホテルの洗濯機が壊れてるから「町のコインランドリーまで(車でも20分!)行け」と言われて、ライマーが慌ててレンタカーに走る。車が来てホッとすると同時に、ホテルの洗濯機が直ったと知らされた。大型で「無料」とは大感激。お陰で、最後の日には一切合財の大洗濯ができた。しかし、ここでも危険とは紙一重だった。最初の洗濯。ドライヤが動き出すと同時にヒドイ雑音がする。いくら中を調べても分からない。変だ変だと思いつつも乾燥が終わり、ドアを開けた途端に、何と、タバコのライターが飛び出して来た!温度を低めにしていたから良かったが、もし「高温」で30分も回っていて、ライターが爆発でもしていたら! 
「誰よ!ライター入れっぱなしで放り込む人!」かわいそうな信子サン、人知れず吹っ飛んでいたかも・・・・。
 「足」が出来たとたんにライマーが元気になり「さあ、島見物に出発だ〜!」。それまで、何となく気分的に湿っぽかったけれど、突如として元気が溢れ出す。「車無しには何も出来ない」事が良く分かった。観光バスもあるとは思うが情報が入らず、ホテルにも何のインフォーメーションもない。カウワイ島って、これでも観光地・・・?
[カウワイ島巡り]
 車がこれほどありがたかったこともない。「行くぞ〜ッ!カウワイ島、ぜ〜んぶ見てやる〜ッ!」とばかりに昼過ぎに飛び出した。いつものガソリンスタンド周りのレストラン群を越えると二つばかりショッピング・モールがあり、道路を渡った反対側には、大きな平屋の教会。「ミショナリー教会」とは聞いたこともないが、「毎土曜日フード・バンク」のサインに親しみを覚えた。と言うのも、ウィニペッグの教会でも毎週フード・バンクをしているからだ。それにしても、フード・バンクが必要なほど貧しい人達もいるんだろうか?最近耳にした、フロリダでのスープ・キッチンを思い出した。隣りは「一日中朝食バイキング」の店で、ホテルよりは割安。太っちょのおばちゃんが「待ってるよ」と手を振った。それからはひたすら北上を続ける。海岸線を洗う波の激しさに目を奪われた。「今日は手始めだから東側を走って見みよう」。ミショナリー教会がある“Waipouli”の町を過ぎ、土産物屋を横目にひた走る「これじゃ、お土産なんて全然見る時間はない・・・」と心中つぶやく。ここは入植時代からの質素な佇まいをそのまま利用している店が多く、ザッと通り抜けると何だか侘しいくらいに感じる。町を抜ければ、再び「こっちへ来い!飛び込んで来い!」と言わんばかりの恐ろしい波が浜を、岩を噛み砕いている。今、手元のカウワイ島全体の地図と各地域別の地図を見比べても「一体どこを見たのだろう・・・?」訳の分からぬ長いスペルと、限りなく続くハイウェイ、所々に広がる町の曲線で、頭が混乱してしまう。「間違いなくここ!」と言えるのは、 翌日に行った “Kilauea Point” の灯台、“Opaekawa Falls”、“Waimea Canyon” 等、絵葉書にもはっきり出ているもの以外は「ここだったのか?それとも他だったのか・・・?」とハッキリしない。 海岸線がどこも似たように波荒く、通り過ぎる町並みも何となく「ここには金持ちっていないのか・・・?」と思わされる雰囲気ばかりだった。それでも随分と北上し「夕暮れ間近」に急かされて帰途についた。遊歩道のある “Kealia Beach”だったと思うが、崖沿いに十字架が立っていた。翌日歩いてみると、二人の青年の写真に花輪が添えてある。二人揃って自殺とは思えないから、恐らくサーフィンでさらわれたか、スピードの出しすぎで突っ込んでしまったのだろう。こうまでもせずにはいられなかった身内を思い、胸がいたんだ。
[小錦の涙:カウワイ産玉ねぎとロコモコ]
車が来る前から、夕食はガソリンスタンドのコンビニでサンドイッチなどを買って部屋で済ましたりした。「あった、あった!スパム」!「スパム」とはポーク版「コーンビーフ」、つまり「コーン・ポーク」のことで、これを巨大な四角いおにぎりに載せ、帯状にのりをまいてある。ライマーはバカにするのだが、これが感動的に美味しい。昨年ワイキキで始めて試してスッカリ気にいってしまった。数年前、日本で「どっちの料理ショー」と言う、今はもう見られないが、実に残酷なクイズ番組でスパムを知った。この時に出演していた小錦がロコモコ(これもこの時に始めて知った)に使用されていた「カウワイ産玉葱」を試食し「これはケーキのように甘くて芸術品だ。こんなもの(ロコモコ)のために使うなんて、これは罪だ!」と叫び、涙を流していた。彼の「罪だ!」の叫びに「日本人じゃないな〜」と驚いたのだが、彼が泣くほど感動する「カウワイ産たまねぎ」とは一体どういうものか、是非とも食べてみたいと思っていた。そのカウワイ島へ来たのだから、是非とも「ここの玉ねぎが食べたい」と探し回ったが、自然食品店でさえ見付からず、ましてや、おいしい「ロコモコ」など、夢のまた夢。再び訪れる事などありえないカウワイ島。幻の「カウワイ玉ねぎ」の味・・・。何とも残念でたまらない。この自然食品店で「ノニ」をやっと見つけた。去年オアフ観光で始めて知り、私の悩み「あせも」の治療には最高だ。「カウワイ産」とあるのに、捜しても見付からない。「〜産」とある物も、生産地では中々手に入らないようだ。
[セーフウェー・カード]
 車が使えたからこその感激があった。「セーフウェー・カード」だ。セーフウェーはホテルから遠すぎて、とても歩ける距離ではなかった。外食は何度かしたが、やたらと高いし辛くてやり切れないので、出来るだけ部屋で食べることに決めた。先ずは、セーフウェーで朝食用に少しだけ買う。パンに加え、「血圧にはセロリ!」と言われていたので、しっかりとセロリも加える。精算の時に「セーフウェー・カードは?」と聞かれた。「カナダに置いてきた」と言うと、何と何と、電話番号だけで、ちゃんエア・マイレージまで入れてくれた。驚いたのは、この島ではビニール袋を全く使わない。全て紙袋だ。私はもらった紙袋は全て持ち帰った。これ程便利な物はない。昔はどこでも紙袋だったが、日本やカナダから紙袋が消えてから、もうどれくらいになるだろう?
[再び北上]
 翌朝、私達は前日通ったセーフ・ウェーだのミショナリー教会だのを越え、再び海岸線を辿りながら、「北」へ向かった。地図で見ると「北の地域を西に向かって一直線」に見える。時に内陸に入り、バナナの木に小さな花が咲いてるのを見て感激したり、ブーゲンビリアが紫の滝のように流れていたり、椰子の林が延々と続いたりと、流石、別名「ガーデン・アイランド」。が、ポインセチアは一本もなかった。「そう言えば、昨日、この辺の棒に猪の血まみれの皮がサボしてあって、ハエがたかってたっけ・・・」キョロキョロ見回したが、どうも通り過ぎてしまったようだ。この辺りからは全くの始めての道になる。そうなると、中々大変だ。道路標識が極めて不親切だ。地図と首っ引きでもよく分からぬ。結果として「しょうがない、どこかへ出るだろう・・・」。そうやって、やっと着いたのが、この “Kilauea灯台” だ。険しい崖の上にそびえ、設門を入って料金を払わないと辿りつけないのだが、膝が問題の私は、灯台の上まで上るわけでもないので、遠景で満足する事にした。「あっちへ行っても景色は変わらないサ」とライマー。「ウ〜ン、そうでもないとは思うけど・・・」。ここにも鶏はたむろしていた。面白い事に、この島にはカラスが一羽もいなかった!“Kalihiwai Beach” を越えるが、手元の絵葉書はまるで鏡のように波一つない。なぜだ?!こんな穏やかな光景は、島の何処にもなかった。全て「大波小波がど〜ど〜と」で、どのようにしてこういう写真が撮れたのだろうか。この後のドライブは、今考えて見ても何だかモヤッとしている。内陸部に入り、工事中の道を、あるいは、車一台分の細い橋を、越えていく。「見晴し台」と見れば必ず車を降りた。その中で印象に残ったのは “Hanalei Valley”を見下ろす高台だった。説明によると、眼下に見える水田、それはかなり険しい山すそを、小川に沿って広がっていて、昔(恐らく今も)タロイモの生産をしていたそうだ。四角く切り分けられ、周りに巡らされた水路がキラキラする様は眠気を催すほどのどかで、まるで植え付けを終え風に揺れる日本の水田の趣だった。しかし、これから先が非常に大変だった。田舎道を走りながら “Waioli Mission House” のサインが目に入るが、「何だろうね」とは言いつつ通り過ぎる。地図でもそうだが、道がクネクネと非常に複雑で、どこにいるのかサッパリ分からぬ内に “Ching Young Villege” と言う奇妙なショッピング・センターが「右側」にあった。「右側」だ(・・・)。昼時だから、とガンガンと射るような日差しの中で駐車。猛烈な人だ。ちゃんとしたレストランなどはなく、どれもファースト・フードにピクニック・テーブルで、土産物屋にも人が溢れている。「ロコモコ」の写真が目に入った。こんな所で美味しい筈はないとは思いつつも注文。日本のお弁当屋の雰囲気で、フィリッピン人と思しき女性が注文を取り、奥で数人が必死でパックに詰めている。「卵は一つ、ご飯は半分にして」「じゃ、マカロニサラダを入れましょうか?」でOKして後悔した。ライマーは何だったか覚えてないが、二人とも山盛りの食べ物をどうやってこなしたか覚えてない。これが、私のカウワイ島での唯一の「ロコモコ」だったのだから、何とも物悲しい。それからだ。「ライマー、逆に戻るの?」「〜ン?こっちへ行くんだろう?」「違うわよ、今のショッピング・センターが右側だったもの」「そんな筈はない」「エ〜ッ?」ヒョットして、私、間違ってる?そんなはずはない、絶対に「右」だった!そして、矢張り私が正しかった事は、ライマーもすぐに認めざるをえなくなった。タダでさえ混雑してる道路をUターン。これは至難の業だ。でも、運転はライマーだ。私じゃなくて、ア〜、よかった!
 何が何だか分からないが、ビーチを求めてひたすら走る。この時には、私が完全に混乱していて、ビーチは「左側」だとばかり思っていたら、突然に右側に海が開けたのにはビックリした。狭い道を、サーフボードを下げた(抱えた)若者の群れがポコポコとほこりをまきあげて歩いて来る。行けども行けども駐車場は満杯。全く、完全に、一台分のすき間もなく、文字通りギッシリ、ビッシリ詰まっている。この辺りは “Hanalei Bay” に沿って公園が広がり、サーフィン客で溢れかえっているのだ。海に通じる、いく筋かの細い道。そのすぐ向こうの白波がサッと目の端をかすめ去る。「こりゃ、ダメだ。車を停められない」あきらめて無理やりにUターンさせ、それでもあきらめ切れずにいると、パッと開けた視野にぽっかりと広がる砂浜。そして広々とした駐車スペース!「ヒャ〜!神様、ありがとう!」砂浜の向こうは素晴しい光景だったが、矢張り恐ろしい高波で、泳いでいる人は一人もいない。すべてサーフィン向けだ。一体、カウワイ島には、泳げるような穏やかな海はないのだろうか?
カウワイは島の廻りに道路が真っ直ぐに伸びてはいるが、北側から西側にかけては車の走れる道はない。このまま直進しても道は終わってしまい、後はハイキングやトレッキング用の道になる。ここまで来ると私達もかなり疲れを感じ帰途についた。これで、私達の「東〜北」への観光が完了したことになる。 
[日曜日]
 バカンスで来てるのに、何で早起きして慌てなきゃならないんだろう・・・?私達はブツクサ言いながら慌しく簡単な朝食をお腹に放り込み、車に急いだ。ミショナリー教会の礼拝は朝の九時に始まるのだ。余りに早くて焦ってしまう。週報には数人の名前があり、講壇でギター片手に賛美の指導をしている男性が「牧師」なのか、「副牧師」なのか、それとも「その他の奉仕者」なのかは分からない。「お客さんに」と、貝殻のレイをかけてもらった。その内に、東洋人の顔をした男性が報告を始め、若い小太りの男性が説教を始めた。「ヴァンパイアー(吸血鬼)・クリスチャン」。「罪の赦しのために、イエス様、あなたの血が少しだけ欲しいです。でも、教会で何もしたくないので、赦しのために、一寸だけあなたの血潮が欲しいけど、沢山はいりません」。どこの教会にも「お客様」で通す人々が多い。それをついているのだが、余りにも意外な目線のため、強烈な印象を受けた。礼拝後ドーナッツやクッキーでコーヒー片手にお喋りが弾む。「私は三世よ」と言う婦人が近づいてきて、楽しいひと時だった。突然にドサ〜ッと大雨が「落ちて」来たが、五分もするとカラリと上がった。ライマーと話していた男性が、あのキラウエア灯台で内部の改装工事をしていると聞いた。あちこちで宣伝を見かけた「ミショナリー・ハウス」とこのミショナリー教会は全くの無関係で、しかもこの人は「ミショナリー・ハウス」については何もしらず、少しだけ驚いた。大発見は、東洋人の男性が正牧師、説教をした男性が副牧師だった。この三世の「ハツコ・カワグチ」さん、13歳の時にお父さんが再婚したと聞いて、ロクに考えずもせずに「じゃ、苦労したんですね」と言うと、「ええ・・・」と短く答えてから「必ず手紙を下さいね、英語で書いてね」。この旅行紀ができたら英語に訳して送ろうと思っている。早くしなくっちゃあ・・・。
 土曜日からホテルのプールとジャクジーがオープンしたので、ライマーは大喜び。私も一寸だけジャクジーに浸かるが「一体どこから来たんだろう」と思うほどに、明らかに現地の人と見える若者達が大騒ぎしていた。ホテルにこんなに現地の人が泊まっていたんだろうか?
 そして、大発見。高台のプールからは海岸がよく見える。「あれ〜?みんながビーチで泳いでる!」確かに、黄色のテープをかいくぐり、大勢が泳いでいるではないか!「行こう!」と芝生を駆け下りた。防波堤のようにグルリと囲んだ堤が荒波を止め、そこだけ「ラグーン」のようになっている。岩を乗り越えてくる波も殆どない。今まで見て来たどこのビーチよりも穏やかだ。「ワ〜!結局、目の前が一番よかったんだ!」私達は大笑いだった。
[南部探検]
 この頃には連日のように、朝は曇っていても、昼前からグングンと気温も上がり、非常に蒸し暑くなっていた。私達は南を目指す。先ず、近くの “Opaekaa” の滝。これは崖を二筋、三筋の滝が流れ落ちていて、少なくとも「船下り」の羊歯の洞窟よりは迫力があった。さらに進んでいくと、広々と開けた「湿原」に出た。よく見ると、こちら側とあちら側が深めの淵で別れ、つなぎに細い川が流れ、四輪駆動車などが次々にしぶきを上げながら渡って行く。淵を見下ろすと五〜六人の若者達が「飛び込んだら?大丈夫よ、私が証明したもの!」と立ち泳ぎで手を振った。この湿原、一足ごとにズブズブと靴が沈む。こりゃ、堪らぬ・・・。早々に退却した。別名「ガーデンアイランド」にふさわしく、どこを見回しても緑に溢れている。私達は、飛行場近くの “Grove Farm Homestead Museum”、つまり入植時代の暮らしを展示している博物館を訪れた。ここには、カウワイ島における白人文化の入る以前からの暮らしから始まり、白人たちとの係わり合い、宣教師達による現地人への教育の様子を始め、様々な展示がされていた。「数分前に始まってしまったから」と言われたので、ガイドのグループには加わらなかった。このガイドさん、多分、ここの出身だと思うが、まるで当時を体験してきたかのように、「口角泡を飛ばし」熱弁をふるっている。私達が二階に進んでも尚、入り口近くの同じ所で説明を続けていた。それにしても、と私は考えた。サンドイッチ諸島と呼ばれた頃から続いた「押し付け」の白人文化。この蒸し暑い島で、あの、首まで覆った婦人服を着せられ、子供達は惨めじゃなかっただろうか。私みたいに、汗疹だらけにならなかっただろうか?二階の片隅に、当時の入植者(これは明らかに日本人)の住居が「実物大」との説明付で存在する。タンスや洗濯板、流しのやかん。外に設えた風呂桶・・・。見ていて涙が込み上げた。この狭さ!この不便さ!この貧しさ!そして、ふと思った。あの「カワイはいいよ。一度はおいで」と言った中島さんも、この貧しさを体験してきていたんだろうか。それでも、と私は思う。幼い私を抱えた母の毎日も、これに負けないほど貧しかった。お風呂もなく、台所もなく、水もなく、トイレもなく・・・。若い頃の母も、移民の人達と変わらない苦労をした事を思い、九十六歳と五日で亡くなって、すでに十年になろうとする母の面影を遥かに偲んだ。
この博物館で一つ賢くなった。お土産に「ハワイ最後の女王・・・Liliuokalani 女王」の伝記を買ったのだが、その時に質問した。「“Aloha’a” それから “Kaua’i” .と言う風に、スペルの上にコンマが付くのはなぜ?」答えは「次の音の発音を強調するため」。つまり、「アロハア」、「カウアイ」となるわけだ。な〜るほど。博物館を出て、すぐ近くのショッピング・センターへ向かう。中々のもので、汗だらけの私達はスターバックで冷たい飲み物を楽しんだ。この時、目の前を、後姿ですぐにダウン症と分かる少女を伴った家族が通り過ぎた。私はしばし巨大なクロワッサンと格闘していたのだが、ふと目を上げると、すぐ前のパラソルの下に座っていた。この少女が隣りの「おじいちゃん」に頭をもたげ、腕を廻しておじいちゃんの顔をそっと包むような仕草をした。それに応えるように少女の身体を支えながら、おじいちゃんは非常に幸せそうに見えた。雀がえさを求めてやって来る。クロワッサンの薄皮を放ると、体の半分ほどもあり、必死で数歩あゆみ、そのまま 加えて飛んで行ってしまった。数分後に又ねだりに来たが「もうダメ、お終いよ」。ここにはフード・コートもあり、ラーメンなんかを食べている人も見かけた。それで気がついたのが、前々から思っていたほどには「日系」の影がない。お弁当には鉄火丼風や海苔巻きも見かけるが、スーパーでは緑茶一つ見付からない。昔はもっと「日本色」が強かっただろうが、アメリカ文化に溶け込むに従い「日本」も遠のいていったに違いない。「そうよね〜、ここはアメリカだものね〜」。もし独立を保てたとして、ハワイ国民は幸せだっただろうか・・・?中々難しい問題に思われる。
 この後、さらに南下、“Poipu” (おかしな名前に笑ってしまう)に通じる “Koloa" 、さらに “Hanapepe” を通り越す。それにしても、「ポイプ」だの「ハナペペ」だの、ハワイ語の響きの可笑しさに笑いながらのドライブだ。道は山を遥かに望み畑や草原が広がる。赤土なので、何となく暑苦しい。目指すは、昔ロシアが支配していた「エリザベス砦」だ。「エリザベス」と言えば、何だかイギリスっぽいが、これはれっきとしたロシア人の、何とか言う高官の夫人の名前だそうだ。行ってみると、何もない。見事に、何もない。砦の跡、と言う小さな丘の上まで道が続く。大した登りでもないので草を踏み分け上っていく。後ろから我々より少し年上かな、と言う夫婦が続いている。登りきると海が見え、風が心地よい。青い海に白波が沸き立つ。下りは、崩れかかった石段が「フン!こんな道、お前にゃ通れまい?」と人を小バカにしたように見え隠れしている。「行ってやろうじゃないか!」思ったより簡単に下まで降りると、海岸まで真っ直ぐにきれいな道が続いていた。例の夫婦は丘のテッペンであきらめたようだ。この散歩は、別に何か特別な事をしたわけでもないのだが、心地よく記憶に止まった。次に目指すは、ホンの少し先の “Waimea” と言う町にある、キャプテン・クックの銅像だ。これはウッカリすると見過ごしてしまいそうで、道の片隅にレイを下げて控えめに立っていた。キャプテン・クックはこの地に上陸したした最初の白人で、「ハワイにしたら、後でドンドン侵略される事になったんだから、それ程嬉しい存在じゃないのかも」とはライマーの言葉だが、余りに呆気なく、わざわざ出かけてガッカリした。ところが、彼の博物館が「砦」のあたりにあったのだそうで、行きも帰りも見逃してしまった事が、返す返す残念でたまらない。
夕暮れ迫り、山の端もかすれかかった頃に「あっ、セブン・イレブン!」と言った時はもう通り過ぎていた。仕方なく、ホテルを通り越してガソリンスタンドでマグロ丼を買ったのだが(ライマーはスパム風のウィンナーおむすびとサンドイッチ)これが殊のほか美味しく、結局この美味しさが最終日の悲劇につながったのだが。
ホテル前の街道沿いに「眠れる巨人」と呼ばれる山並みがある。ホテルの駐車場からが一番「巨人」が「眠って」いるように見える。伝説によると「とてつもなく巨大に成長した男性が町に住めなくなり、一人淋しく山に登って行った。ある女性が歌を歌ったところ、彼は眠りについたが、この女性の歌った歌を聞かなければ目が覚めない。誰もこの人が歌った歌を知らないから、巨人は今でも眠り続けている」のだそうだ。この巨人の眠る表情が実に厳かで美しく、涙が出そうに神々しい。この巨人を仰ぎ見ながら一日が始まり、そして終わっていった。
[“Hanapepe Beach” と “Waymea Canyon”]
 木曜日早朝には車を返して飛行機に乗るために「一日中観光」となると、この日しか残っていない。たっぷり時間があったはずだが、矢のように飛び去っていった。そもそも、最初の二日は車もなく天気も悪く、ライマーも病気のために何もせず静かに過した。これはこれで、ウィニペッグで疲れ果てていたライマーにはいい休暇となり、車が来てからの気違いのような「駆け巡り」のために十分に「備える時間」になって感謝している。
 この日、“Maluhia Road” に150年前に植樹されたという、巨大にそびえるユーカリ並木の「木のトンネル」を越え、再びポイプへ通じる道を越えて「カウワイ島で一番のビーチ」と言うハナペペにやって来た。ここで始めて「ワ〜ッ!お金持ちだ〜ッ」と叫んでしまう。それまで見続けていた、何ともひなびた建物とは全く異なり、威圧的巨大建造物が大きな門の向こうに色とりどりに競いたつ。「恐らく、本土からの大金持ちの別荘なんだろう」とはライマーの感想。ハリウッド関係か、政治家?弁護士の類?これまで見慣れたものと余りに違い、ショックも大きかった。この「別荘地」を守るためか、道がヒドク複雑に曲がりくねり、あっちへ行っては又戻りのくり返しで、すぐそこにある筈のビーチが一向に見えない。随分と時間を浪費し「金持ちめが」と恨む。ようやくやって来たビーチは駐車も楽々だし、同じくラグーンのように岩囲いの内側で大勢が泳いでいた。期待に反してすごい大波で、波打ち際もバシャバシャと荒れている。水際は細かい石がガリガリと素足に痛い。冷たい水を堪えてどうにか身体を漬けるが、押し寄せる波にすくわれ、叩きつけられれば怖いし痛い。砂地が狭く、いつの間にか眼下は真っ黒な木屑のかたまりや細かい岩くずで、絶え間なく叩きつけられながらも我慢していたが「もうヤ〜メタ!」と上がってしまった。ライマーはと見ると、遥か遠く、ラグーンの境目、その向こうは大波の砕け散る所まで達して、行ったり来たり。岩囲いの真ん中にポールが立っていて、波が砕けている。叩きつけられたら命はない。どうしよう・・・?暑い日差しの中、老夫婦が近づいてきた。帽子のひさしの下、奥さんはキリリとしまって年齢に相応しく美しい。ヨタつき気味の夫を支えて私の左前方に座った。そして、私は驚いた。投げ出された両腕、両足は、まるで枯れ木。熱でも出したら、一変に死んじゃうんじゃないだろうか・・・?年を経ても余分な脂肪が無いのは羨ましいとは思うけど、私は「枯れ木にはなりたくない」と心底思ってしまった。 ライマーが「寒い寒い、イタイイタイ」と震えながら戻ってきた。ビーチ近くは木屑だらけで汚いが、外海に近づくと、色とりどり、大小様々な熱帯魚がワンサといるのだそうだ。「こんなに大きいのもいた。ズ〜ッと後を追ったんだけど、捕まりそうになると、サッと逃げられた」。興奮して目がキラキラしてる。私だって、腕に浮き輪を巻いてるから溺れる心配はないが、この強烈な波が怖くてたまらない。「怖がるのも防衛手段」と、熱帯魚見物は放棄した。グアムではホテル前のサンゴ礁に熱帯魚がたむろし、産卵地の近くだったのか、ライマーも私も色鮮やかな小魚に攻撃され、足に小さな口の跡を付けられ「イタイイタイ」と悲鳴を上げた。小魚だって、コワイ。でも、ア〜、見たかったな〜、熱帯魚。その後、ライマーは数回泳いでは魚を追い、大満足で戻ってきた。
[救急隊] 
 ここで再び「想定外」に出くわす。今度の旅は、これのくり返しだったなあ、と今さらながらに思う。私達が陣取った真横にピクニック・テーブルがあり、何度か人が代わっていた。ライマーが熱帯魚で興奮して話し出すより前に、 赤い帽子に赤いジャケットの救急隊員が近づいてきた。「あれ?」と思うと、隣りで止まる。「エッ?」と見ると、ベンチの椅子部分に中年の女性が頭に氷を載せて延びていて、その内に赤帽子隊員の数が増し、けたたましいサイレント共に、消防車が二台、救急車もやって来た。「まさか!」と思った「まさか」がお隣りで起きていた。このご婦人はすでに立ち上がり、笑ったりしていたが、救急の人達が血圧を測りながら「あ〜でもない、こ〜でもない」グチャグチャとしつこく繰り返し、一度は芝生に寝かせた彼女も起き上がって水なんかを飲んでいた。一旦は担架も引き揚げ、隣りの赤帽さんも「大レクチャー」の後で、立ち上がった、その瞬間(アア!私は目撃者!)、この女性が私の目の前でヘナヘナへナ・・・と、文字通り崩れてしまったのだ。ライマーがちょうどシャワーと着替えに行ってる時だったのだが、さあ、それからは大変だった。大声で担架が呼び戻され、婦人は救急車へ運び込まれた。娘と思しき女性が「大丈夫だから」と苦笑していた。帰りがけに見ると、救急車の中で酸素吸入を受けていた。ひと言声をかけると、娘が「ちょっと水分不足だったけど、もう大丈夫」と笑っていた。
[Waimea Canyon]
地図によると、ハナペペからそれ程遠くない所に「ワイメア渓谷」がある。それまで通って来たのはどれも丘に毛が生えた程度の山並みだったが「渓谷」と呼ぶくらいなら、きっと本格的な山にちがいない。地図で見ると、全体が険しい山脈の周りにチョロチョロと町があるのだが、まだ本物の山を見てない。いくら「グランド・キャニオン」とまではいかずとも、それなりの景観ではあるはずだ。渋々だとは思うが、ライマーも我がままを聞いてくれた。しかし、どう間違えたのか(何しろ、道路標識が非常に不親切!)田舎道に入り込む。が、これは遠回りではあっても途中でメインと合流するので、往路と復路が異なり、却って変化に富む結果となった。始めの内は、いくら走っても見えるのは丘の斜面ばかりで、まるでニュージーランドのようで不安になった。NZでは一日中走っても、どこにも着かない。これには参った。しかしカウワイ島は小さい。走れば必ずどこかへ到着する!メインの道路と合流して間もなく「キャニオン、右」の標識。広い駐車場には立派なトイレが二棟も建つ。そし
て「こんな所にも!」と驚く。「鶏」の群れ、群れ、群れ。「見晴し台」は上り三段階になっており、車椅子用のスロープも付いている。ヨーロッパ系かと思われる家族で、小さな子供たち三人がキャッキャッと階段を駆け回る。見下ろすと、これは立派な渓谷だ。夕日が当たる部分は斜面が赤茶色に輝き、既に影になっている部分は黒々と凄みを帯びる。深い。谷底は見えない。「ここなら立派に、一発で死ねるネ」などと不謹慎な言葉が出てしまった。ここを出ると、もう三箇所「見晴台」がある筈で、その内、一つからは滝が見られる、と地図にある。次のはすぐに分かったが、後の二つは「どこだ、どこだ」と目を凝らしていたにも係わらず見付からず、渓谷を過ぎる道に出てしまった。帰り道も注意を怠らなかったのに、結局は分からずじまいで、後に写真で見る「渓谷の滝」に「見たかった〜ッ!」と喚いたが後の祭りだ。このようにして、すぐ近くまで行っていた筈が見落とした名所が多々あり、何とも悔しく、手元の絵葉書を見ては残念がっている。しかし、限られた時間だし、飛行機や船に乗らずに廻ったのだから、これは大した事だと改めて満足している。帰り道はメインの街道を一路ホテルに向かい、今回は「セブン・イレブン」へしっかり寄った。驚いた事に、ここには肉まんあり、日本のおにぎり弁当、いわゆる「コンビニ弁当」等、懐かしい光景で溢れていた。本当は刺身ののった丼にするつもりが、「弁当屋の弁当その物」、と言う外見に釣られて、熱々のお弁当を買ってしまった。もしかしたら、「おでん」もあったような気もする。このセブン・イレブンだけは「日本色」が溢れていた。矢張り、食文化には「力」があると感心した。
[最後のフル・デイ]
 丸々一日はこれが最後となった。する事はいっぱいある。でも、その前に遊ばなきゃ。先ずは、例の教会横の「一日中朝ご飯バイキング」に出かけた。幌馬車でも止まりそうな小屋でホットケーキ、スクランブル・エッグ、ハム、ソーセージ等々、可もなく不可もなく、感激もないが失望もなく、マズマズ無難なメニュー。車が来る前に「一日中朝食」の店へ行った。定食(クロワッサンとかべーグル・サンドイッチ)のコーヒーを見て、二人ともイヤ〜な予感がした。NZと同じ、日本なら紅茶を搾り出すポットでコーヒーを搾り出してる。一口飲んでライマーが悲鳴を上げた。私もかなり我慢したが、たまらなくなって店に飛び込み(外で食べていた)、「お願い!普通のコーヒーを飲ませて!」大らかに笑い、別料金の請求も無く入れ替えてくれた。ゆで卵は「お持ち帰り」でライマーの翌日の朝食になったが、カウワイ島では美味しいコーヒーにはツイに巡り合えなかった。
プールへ行く前にビーチへ出たが、矢張りここが一番だった。ラグーンの外から、いまだに木屑が押し寄せる。ゴーグルをつけても、底は黒々として面白くも無いが、水が穏やかだから私みたいな者でも遊んでいられる。怖くない。これが一番だ。子供達も大喜びだ。しかし、水は冷たい。ウィニペッグの湖ほどではないものの、これがハワイの海か、と疑いたくなるほどに冷たい。それでもライマーは随分と長いことラグーンの外まで出そうな勢いで泳ぎまくっていた。まあ、元気になってよかった、よかった・・・。身体が冷え切ったのでホテルのジャクジーで温まり、その後でプールに足を漬けて私は悲鳴を上げた。こんなに冷たくっちゃ、風邪引いちゃう。そのままジャクジーに戻った。「お先に失礼」と部屋に帰って洗濯の準備をした。この間、ライマーが例のガソリンスタンドのコンビニで夕食を買うことにした。これが数時間後の悲劇につながろうとは、誰が予測できただろう?
ライマーは「タコ丼」と「タタキ丼」その他にハンバーグのスパム風おにぎりとサンドイッチ、ヨーグルトなどを買ってきた。マグロの刺身丼は売り切れていたのだ。ここで「どんぶり」と言うのは、刺身が5〜6切れ、残り半分にマグロのぶつ切りをマヨネーズと唐辛子かなんかで混ぜたものがのっている。下は寿司ご飯で、始めて食べた時に、美味しくて感激した。この店は回転がとてもいい。これはハッキリ言っておく。ライマーとお互いのを食べ比べたりして、二人とも同じ物を食べていたのだ。あ〜、それなのに、それなのに・・・・!そろそろシャワーにしよう、荷造りも残ってるし、と思いつつトイレに座った途端にきた。あの、去年の夏の悪夢のくり返し。「出したい、でも出てくれない・・・」このオドロオドロしい、何とも形容不可能な状況に陥り、以後、約四十分間、一人ウンウン呻くのみ。「ビニール袋もってきて!」と叫んでも、中々意思が伝わらず、不快さと苦しさでツイに涙が溢れ、大声で泣いてしまう。それでも「出せない」。身動きがとれず、冷や汗がビッショリ。そのために身体が冷えて、震えが来る。正に地獄。どうして最後の夜にこんな思いをせねばならぬかと思うと、苦しさと情けなさで涙がとまらなかった。と、一瞬、上に込み上げると同時に下からも解放され、アッと言う間にすべてが終わった。カウワイでお腹に入れたモノは、きれいサッパリとカウワイで片付いた。
翌日、ロスの友人から聞いたところ、当時、ロスでは「マグロの刺身のぶつ切り」の食中毒が大問題になっていたのだそうだ。これに違いない。ロスからカウワイまで飛んできたんだろう。それにしても、同じものを食べて、なぜ私だけ・・・?ヤッパリ、ライマーのイビキのため、ずっと眠れてなかったからにちがいない!!!
[さらば、ホテルよ!]
 このホテルはダメだ。しっかり頼んでおいた「モーニングコール」も完全に忘れてる。ま、いいや。エレベーターもあったし、中庭もお花がきれいだし、ジャクジーも直ったし、洗濯機もタダで使えたし、ビーチもどこよりも穏やかだったし、何よりも、あの「眠れる巨人」を毎日見られたんだから。自らへの記念として、雄鶏が時を告げる“カウワイ島デザイン・生産”による「カウワイ島目覚まし時計:3:00AM」のTシャツを購入した。
[帰路、そして最終日]
 これは想像以上に大変だった。小さな飛行場が引っくり返りそう。皆、どうしていいか分からない。ウロウロしても、聞けるような人がいない。ノッペリしたコンピューターの画面が並ぶだけ。係りが違えば、間違った情報しかもらえず、右に左に行ったり来たり。飛行機にすわった時には「奇跡だね〜、乗れたなんて」とタメ息。朝早く出たのに、ロスに着いたのがなぜ夜の十時なのか、今でも分からない。結局、帰りは直行便がなく、マウイ島に止まり、随分と待たされたのだ。お腹がペコペコでも食べる物がなく、ロスのホテルで夜食を取る。驚いた事に、この部屋の洗面台、お湯が出ない。バスのお湯を出せば洗面台も出るが、一度止めれば再びバスを捻らねばお湯は出ない。こんな事、聞いたこともない。すごい欠陥。何故私達の部屋が?なぜ、ロスでまで・・・?
 ハワイでは殆ど眠った感じが無かったが、ロスでは二週間ぶりによく眠れた。バイキングでゆっくりと朝食を終え飛行場に行くが、これが又、一仕事。最近はセキュリティーが本当に大変だ。カウワイを出るときも植物検疫とかで色々うるさかったが、ロスも半端じゃなかった。老婦人が機内で編み物をしてる。なぜ尖った編み棒が赦されるのか・・・?世の中、分からない事だらけだ。ロスからコロラド州アスペン、そしてデンバーと飛び石で、その間、延々と待たされた。往復に丸四日もかけるのは、実に勿体ないことだとツクズク思う。デンバーでは「竜巻シェルター」の発見があった。搭乗口近くでは「竜巻の危険があれば、35番搭乗口シェルターへ」。待合ロビーでは「このトイレは竜巻シェルター」の掲示。係りの人に「デンバーでも竜巻があるの?」と聞くと「滅多にはないが、時々はある」との答え。変な具合に時間があり、そろそろ空腹を感じた頃に搭乗、おまけにウィニペッグまでは短過ぎて飲み物以外は口に出来ない。お腹がクークー言い始めた。ライマーは、デンバーで巨大アイスコーヒーをガブ飲みし「お腹、イッパイ。何も食べたくない」とつれない。久しぶりのウィニペッグはひどく寒い。夜中の12時近くにやっとタクシーを拾い、我が家に着くと1時前。ハワイ時間は夕方8時だが、立派に真夜中の疲れ。感激したのは、義姉が「マフィンをどうぞ。スープもある」との走り書き。これでやっと空き腹で寝なくてすむ。お母さんみたい。「ビックリ」はこれで終わりではなかった。空っぽのやかんが目に入った。乾いたやかんの底に、何やら白いプラスチックのチューブ。「何、これ?」つまみ上げて「何だろう?エ〜ッ?これ、やかんの笛?!」そう。沸騰した時に鳴る、あの笛。乾燥し過ぎてはがれ落ちていた。まだ新しかったのに。 
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