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岡山県支部

シリーズ28 ~わたしと青山学院~(Part2) 大塚 定様(1974年文学部卒業)

2021.08.27 更新
青山学院大学卒業委員会。

 通称「卒委」は当時、全学部の卒業生の≪卒業アルバム≫編纂と、記念品の≪LPレコード≫制作、そしてイベントとして≪卒業パーティー≫の企画と実施を主な目的とした学生有志によるサークル活動でした。半世紀も昔の話です!!

 私は前年度の委員会メンバーに関わった縁から、1973年度第99期卒委として活動を引き継ぐことに。4月、全学部から10人ほどの有志たちが集い、私が委員長に選出されました。互いにほとんどが初顔合わせでしたが、志を同じくする者同士は直ぐ意気投合します。やがて自薦、他薦、勧誘でやる気満々の4年生男女28名が次々と仲間入りし、本格的に活動を開始。またヘルパーとして後輩数人もメンバーに加わり、1年間限定の「第99期青学卒委ファミリー」

“GRADUATION99”

が結成されました。

(大学4年生時)

 年度初頭、大学側から運用資金として当時1,200万円(単年度予算)が委員会に計上され、年度末での決算報告は義務として当然でしたが、委員会は大学側とは独立しており一切干渉はなく、何をどのように企画し制作するかは全く自由でした。大卒初任給が平均6〜7万円時代で、プロ野球選手の年俸1,000万円プレーヤーが一流選手の証だった頃です。 代々受け継がれてきた委員会と大学との暗黙の信頼関係があったことは云うまでもありません。

 学生会館地下にあった委員会室は、窓のない15坪ほどの小部屋。アルバム個人撮影用のスタジオを兼ね、連日卒業予定者たちが次々と撮影に訪れます。またメンバーたちも授業の合間を縫っては(サボって?)さながら部活のように入り浸り、アルバム用の取材や編集、LPレコードの構成や録音、パーティーのゲスト交渉や演出等等・・・夏には合宿まで行い侃々諤々と熱く議論し合う。そして≪青祭≫への参加で活動はピークを迎え99期のチームワークは一気に増します。そのボルテージはいかにも学生らしい少々青臭い風景でしたが、青春の胸の血を燃えたぎらせた瞬間でもありました。

(第99期卒業員会メンバー「青祭」にて1973年11月

前列右端の方が筆者)

 卒論、教育実習、そして大事な就職活動をほぼ全員が抱えながらも1年間モチベーションを絶やさずやり遂げました。

 ラストを飾る卒業パーティーは、3月21日春分の日、品川の高輪プリンスホテルで行いました。司会はTBSアナウンサーの久米 宏さんと声優の白石 冬美さん。久米さんは当時ラジオで活躍。司会を依頼したところ即OK!! 彼のスピード感あふれるトークと滑舌、当意即妙の頭の回転と切れ味は当時から抜群で、その後の「ザ・ベストテン」(TBS・TV)や「ニュースステーション」(ANN・TV)の司会やキャスターで一世を風靡した大活躍は語るまでもありません。

(卒業パーティー 左が司会の久米 宏さん 1974年3月21日)

約800人が参加した卒業パーティーは成功裏に終了。

アルバムと記念品(LPレコード)を配布し終え、第99期卒業委員会は100期へバトンを渡し解散しました。

(卒業アルバム&LPレコード 第99期卒委 1974年3月)

 1年間限定だったはずのGURADUATION99のメンバーたちとは半世紀経った今でも交流が続いています。卒委は図らずも私自身の青山学院大学での学生生活を総括し締め括った記念樹となりました。

大塚 定 様  プロフィール

(1974年 青山学院大学文学部卒業)

岡山県新見市出身 県立高梁高校卒業

映像プロを経て、新局のTSCテレビせとうち(TX系列)に入社。

(テレビせとうち時代)

報道記者、制作ディレクター、チーフプロデューサーなど歴任。現在はフリーランサー。古巣でニュースデスクを担当する傍ら、≪大塚数馬≫として朗読劇の舞台公演の活動に取り組んでいる。

(筆者近影 朗読劇の舞台にて)


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